大判例

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名古屋高等裁判所 昭和44年(う)224号 判決

本籍並びに住居

岐阜県瑞浪市土岐町六番地の二

会社役員

加藤孝之

大正九年一月一〇日生

右の者に対する昭和四〇年法律三三号による改正前の所得税法違反被告事件につき、岐阜地方裁判所が昭和四四年二月二六日言い渡した有罪判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官吉開猛出席のうえ、審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人平塚子之一作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用するが、所論の要旨は、被告人の昭和三八年及び昭和三九年の両年度における各総所得額中、中部観光株式会社に対する金員貸付に基づく利息収入にあたる部分が、いずれも被告人の営む金融業から生じた所得であり、従つてこれらが、昭和四〇年法律三三号による改正前の所得税法九条一項四号所定の事業所得に該当するものであつて、前同条同項一〇号所定の雑所得に該当しないものであることは、きわめて明らかであるにもかかわらず、原判決が、不当にも、右のごとき被告人の利息収入にかかる所得部分をもつて、これを雑所得として捉え、しかもそのことを前提として、本件公訴事実に関して、原判示の事実を認定し、該認定事実につき、被告人を前同法六九条一項該当の前同法違反の罪に問擬したのは、右のごとき利息収入の性質を正当に把握するための前提事実に関して、事実誤認の違法を冒したか、又は事業所得と雑所得の意義ないしその限界に関する法令の解釈を誤つたものというべきであり、しかも原判決に存する右のごとき事実誤認又は法令解釈の誤りの違法が、判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の各証拠を総合すれば、原判示の各事実は、所論にかかわらず、いずれもこれを優に肯認することができ、しかも原判示にかかる被告人の各所為が、いずれも昭和四〇年法律三三号による改正前の所得税法六九条一項に該当することは明らかであるから、本件公訴事実に関して、原判示の各事実を認定したうえ、該認定事実につき、被告人を前同条同項違反の罪に問擬した原判決の措置は正当であつて、これに所論のごとき事実誤認又は法令解釈の誤りのかどは些かも存しない。

所論は、昭和三八年度及び昭和三九年度における被告人の本件利息収入が、いずれ〃被告人の営む金融業から生じた所得であり、従つてこれらが前記所得税法上の事業所得にあたる旨を主張するので検討するに、証拠によれば、原判決も詳細に説示しているように、被告人の本件各年度における利息収入は、いずれも被告人の中部観光株式会社に対する金員貸付に基づくものであるところ、まず右の金員貸付の動機、目的及び経緯等について調査してみると、被告人は、昭和三三年頃、実兄加藤忠之の前同会社に対する貸金につき、右の実兄の依頼を受けて、これが事実上の事務処理を行なつていたが、そのうちに自らも同会社に対して高利をもつて金員を貸し付け、それによつて利益を得ようと考え、自己の義弟にあたる銀行員永野智とも相談した結果、同人の知人である片岡光雄より二、〇〇〇万円の現金を、利息月三分の約束で預かり、同金員を右永野智と共同して、利息月五分の割合をもつて前同会社に貸し付けたことにはじまり、爾来元金の完済も受け得られないままに、貸付元金の残高を漸増させていつたもので、例えば昭和三八年二月末においては、前記片岡光雄からの借入金二、〇〇〇万円をも含めて、合計三、三〇〇万円にのぼる元金を、前同会社に対して、五〇万円ないし八〇〇万円を一口とし、利息を月五分若しくは二分五厘、期間を六〇日若しくは三〇日として貸し付けていたことが認められるので、右のごとき事実関係に照らせば、被告人が、前同会社に対して、利息収入の取得を目的として、反覆継続して金員の貸付を行なつていたものと認むべきことは、たしかに弁護人所論のとおりである。しかしながら、他方、証拠によると、被告人がかくのごとき利息収入の取得を目的として行なつた金員の貸付先は、右の中部観光株式会社(なお、同会社の常務取締役には、被告人と昵懇の間柄にある奥山宗雄がその地位についていた。)を除いて他に存在せず、しかも被告人は、前同会社に対する金員の貸付又は同会社からの利息の受領にあたつて、同会社と通謀のうえ、同会社をして、その備付にかかる帳簿上に被告人の氏名を一切表面に出させず、終始架空名義を用いて、これを処理させていたばかりでなく、更に被告人側においても、右のごとき貸付元金を初め、その受取利息金等に関して、これを帳簿に記入する等の措置を些かも講じなかつたこと、また、右の貸付資金中、被告人外若干名において出資設立した中商株式会社及び被告人の知人である大楽忠治からそれぞれ受け入れた金員合計五〇〇万円を除くその余の部分は、すべて前記片岡光雄から預かつた二、〇〇〇万円並びにその運用利息により賄われたものであり、その余の第三者から調達した資金は、毫も含まれていないこと、前記中部観光株式会社の経営状態が悪化した後においても、同会社の要望を容れて金利を下げ、しかも従前と同じく、すべて無担保による金員貸付を繰り返していたこと、被告人は、本件各貸付の当時、建設業者たる加藤建設工業株式会社に、その取締役として勤務していたものであつて、もとより被告人自身、貸金業者としての届出をしていなかつたものであること、以上の各事実が認められる。

ところで、金員の貸付によつて生ずる所得が、所得税法上の事業所得たる、金融業による所得に該当するか否かを判定するにあたつては、税制、特に所得税法の精神に則り、そこにいわゆる事業所得性ないし事業性の概念を正当に理解することを要すると共に、事業としての金融業の概念につき、一般に行なわれているところを念頭において、社会通念に照らして、これをできる限り客観的に把握する必要がある。

そのためには、右の観点から、貸付の動機、目的、貸付の相手方との関係、貸付相手方の数、貸付頻度、貸付金額、担保権設定の有無、貸付資本の性質及びその調達方法、利率、これによる利得が総所得中に占める割合、貸付のための人的、物的設備の業態、規模等の諸点より、できる限り多面的に総合し、実態に即してこれを把握し判定することを要するものといわねばならない。そして、これらの諸点の総合的見地より、本件を検討すると、被告人による本件の金員貸付には、既に見たとおりの諸事実に徴し、営業としての主体的な計画性や組織性、企業的継続性あるいは独立性が全く存しないものといわなければならず、従つて被告人が、社会通念上事業としての金融業を営んでいたものとは到底認め難い。所論は、貸付金額、貸付口数、利率等、国税庁長官基本通達のあげる三、四の点のみをもつて、金融業としての条件が、すべて十分に明定されているとの前提に立脚するが、既にその前提自体失当といわなければならない。ちなみに、所論は、本件貸付による利息収入が、国税庁長官基本通達九三項(昭和二六年一月一日付)にいわゆる金融業としての事業所得の条件に該当することをしきりに強調するが、かくのごとき通達本来の趣旨に徴しても、これが税法の解釈の統一をはかると共に、徴税事務執行の適正、円滑化をはかるための、いわば内部的な処理基準としての機能をもつという意味において、下部機関に対する税法実務の解釈上の一指針となり得ることは、これを否み得ないけれども、右通達が、所論の事業所得にいわゆる事業としての金融業を構成要件的に定義づけているものとは到底解し得ない。このことは、右の基本通達九三項の内容自体に徴しても明らかなところである。すなわち、右基本通達は、その前段において「金融業に該当するかどうかは、その口数、貸付金額、利率、その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の占める割合その他諸般の状況を勘案のうえ、これを判定すべきである……」とし、そこに一般的指針として勘案すべき諸点を例示し、次いでその後段(一)において金融業に該当しない場合を、(二)において該当する場合を、それぞれ一応の判断資料として、例示しているに過ぎない。従つて、金融業としての条件は、もとよりこれに尽きるものと解すべきものではなく、いわんや他の諸点を一切考慮しなくともよいとする趣旨でないことは、もちろんである。

所論は、ひつきよう、右基本通達に関し、独自の見解に立つて、原判決を非難するものであつて、到底左袒し得ない。論旨は、すべて理由がない。

よつて、本件控訴は、その理由がないから、刑事訴訟法三九六条に則り、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小淵連 裁判官 村上悦雄 裁判官 服部正明)

昭和四四年(う)第二二四号

控訴趣意書

所得税法違反 加藤孝之

右者に対する頭書被告事件につき昭和四四年二月一〇日岐阜地方裁判所裁判官が言渡した判決に対し被告人が申立てた控訴の理由は左記のとおりである

昭和四四年五月一〇日

弁護人 弁護士 平塚子之一

名古屋高等裁判所刑事第二部 御中

原判決は概ね公訴事実のとおり事実を認定し被告人に対し懲役六月および罰金一〇〇万円に処し懲役刑については三年間執行を猶予する旨言渡した

しかしながら原判決は以下開陳する理由により判決に影響を及ぼす事実の誤認乃至法令適用の誤りがあり不当であるから破棄を免れないと思料する

第一 原判決の要旨と問題の所在

一、原判決の要旨

原判決は理由(罪となるべき事実)として「被告人は中部観光株式会社へ資金を貸付けるに当りその利息収入に対する所得税を免れようと企て右会社に依頼して貸付名義を丸山とか曾根或は瑞山の架空人とし受取利息を架空人名義で銀行に預金してこれを隠匿するなどの不正な方法により

第一、昭和三八年度の総所得金額が九、九五四、四三四円でこれに対する所得税額は三、六八二、九五〇円であるのに昭和三九年三月一六日所轄多治見税務署長に対し同年度の被告人の総所得金額が一八三万円にしてこれに対する所得税額が四三、九五〇円である旨虚偽の所得確定申告書を提出しもつて同年度の所得税三、六三九、〇〇〇円を免れ

第二、昭和三九年度の総所得金額が五、三六〇、三三二円でこれに対する所得金額は一、五一七、五八〇円であるのに同四〇年三月一五日所轄多治見税務署長に対し同年度の被告人の総所得税額が一、四一五、〇〇〇円にしてこれに対する所得税額が一一、七五〇円である旨虚偽の所得税確定申告書を提出しもつて

同年度の所得税一、五〇五、八三〇円を免れたものである」としついで(弁護人の主張に対する判断)として「弁護人は被告人の判示各所得は被告人の営む金融業から生じた所得であると主張するよつて検討するに旧所得税法(昭和四〇年法律三三号による改正前のもの)九条一項四号は『商業、工業、農業、水産業、医業、著述業、その他の事業で命令で定めるものから生ずる所得』を事業所得とし同法施行規則七条の三、四号は同法九条一項四号の事業所得を生ずる『事業』として金融業を掲記しているそして同条の金融業とは金融業務が社会生活上の地位に基き営利を目的とし企図的に反覆継続して遂行されしかもそれが本人の危懼と計算において独立的になされている形態をいうと解するのを相当とするところ本件で取調べた証拠によると被告人は兄忠之の中部観光株式会社に対する金銭の貸付事務を処理しているうち自らも同会社に高利で金銭を貸付けて利益を得ようと考え自己の義弟の銀行員永野智に相談し同人の知合であつた片岡光雄から利息月三分の約束で預つた二〇〇〇万円を利息月五分で中部観光に貸付けたのが始りで昭和三三年頃から中部観光の倒産した同三九年七月までの間同会社に対し右の、二〇〇〇万円の外被告人等が右貸付金の利息として受取つた金銭、被告人の知人大楽忠治や外一ケ所から預つた金銭等七口約三〇〇〇万円(昭和三八年二月末現在)を五〇万円乃至八〇〇万円を一口とし利息を月五分若しくは二分五厘、期間を六〇日若しくは三〇日として貸付けていたことが認められるから被告人が営利を目的とし反覆継続して金銭の貸付を行つていたこと弁護人所論のとおりであるしかし被告人の金銭の貸付先は被告人と親しい奥山宗雄が常務をしていた中部観光株式会社のみでありそれ以外の者には貸付けていないし貸付に当つては相手方の帳簿に被告人の氏名を全く出さずすべて架空名義を使用し被告人のところも帳簿を備えつけて記帳する等の方法をとらず又担保を設定する等の債権確保の手段もとつていないし貸付資金も一部に知人の大楽忠治から預つたものがあるけれど大部分は片岡光雄から借りた二〇〇〇万円とその運用利息で他から調達したものでないことが認められるこれらの事実やその他諸般の事情を綜合して検討すると被告人は奥山との特別な関係から同人を信頼して中部観光株式会社に二〇〇〇万円を貸付け利息が確実に支払われたためそのまま漫然と貸付を継続していたに過ぎず被告人が事業を行う意思で企図的に中部観光への貸付を行つていたとは認められないから被告人の本件所得を金融業から生じた事業所得ということは困難であり論旨指摘の通達もこの認定を左右するに足りない」という

二、問題の所在

原判決罪となるべき事実の認定は被告人の本件逋脱犯の対象となる所得は(旧所得税法昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)第九条第一項第一〇号にいういわゆる雑所得であることを前提とした公訴事実を認容したものであつて原審弁護人はこれに対し前示旧所得税法第九条第一項第四号にいういわゆる事業所得と認定せざるべきであると主張しているのである(当審弁護人も亦原審弁護人主張を維持していること後述のとおり)而うしてかかる所得区分を争う実益は旧所得税法第一〇条の六に定める(資産の譲渡代金の貸倒れの場合等の所得の計算の特例)の適用について差異を生ずるからなのである

即ち雑所得なりとの前提に立てば第一〇条の六第一項が適用されるのであり事業所得なりとの前提に立てば第一〇条の六第三項が適用されるのであり、そしてそれは本件の場合被告人が刑責を有するのかそれとも刑責がないのかということに関連を持つのである。

第二、事実誤認乃至法令適用の誤りの主張

一、(1)昭和二五年法律第二一号による改正前の旧所得税法第九条第一項ではその第一号乃至第八号において利子、配当、臨時配当、給与、退職、山林、一時所得を規定しその九号で右以外の所得を「事業等所得」とする旨定めている。つまり事業所得と雑所得とは営利を目的とする維続的行為によつて生じた所得として一括して事業所得に包含されていた。ところが昭和二五年の改正でこの「事業等所得」が事業所得と雑所得に区分されたのであるがその理由は右改正において青色申告制度が新設されるに当つて同制度の対象を限定するため「事業所得」を概念的に区分する必要があつたことと地方税との関連から地方税の納付義務者の範囲を明確にする必要があつたからであるといわれている。

概念的にいうならば雑所得のうちには「営利を目的とする継続的行為によるもの」であつて事業によるもの以外が含まれることとなるのである。「事業」によるものか否かの区分は社会通念上事業と認められる客観性、社会的存在をもつているかどうかによるといわれている。

原審弁護人からの釈明要求に対して検察官が答えられた「金銭の貸付から生ずる所得が、事業所得に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率、貸付の相手方、担保権の設定の有無、貸付金額の調達方法その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の金額の占める割合貸付のための広告宣伝の状況その他諸般の状況を綜合勘案して社会通念上業として金銭の貸付を行なつていると認められる場合の所得は「事業所得」、その他の場合の所得は「雑所得」であると」とされているのもその趣をふえんされたものにほかならない(記録第九二丁昭和四二年七月七日附釈明書)

しかし「事業による所得」と「営利を目的とする継続的行為によるものであつて事業によらない所得」(つまり雑所得)があり得るとしてその区分の基準が「社会通念上」事業であるかどうかというのであつて見れば社会通念ということが甚だ抽象的であり税法等具体的に国民に直接関連を持つ法概念としては捉えどころがなく洵に法的安定性を欠くこと甚しいものといわざるを得ないところである

(2)以上は「事業所得」と「雑所得」の概念的区別を主題として論じて来たのであるが飜つて所得税法は「事業」ということひいては「事業所得」を具体的にどのように理解しているのかは次に論究されねばならないところである。

旧所得税法第九条第一項第四号はいわゆる事業所得を定義して「商業、工業、農業、水産業、医業、著述業、その他の事業で命令で定めるものから生ずる所得」と為しこれを受けて旧所得税法施行規則第七条の三は「法第九条第一項第四号に規定する事業は左に掲げるものとする。

一、卸売業及び小売業

二、製造業(修理業を除く)

三、建設業(土木建築の設計監督業を除く)

四、金融業及び保険業

五、不動産業

六、運輸業、通信業その他の公益事業(倉庫業、保管業、ガス業、電気業、水道業及び衛生業を含む)

七、鉱業(土石採取業を含む)

八、サービス業(自由職業及び修理業を含む)

九、農業

一〇、林業及び狩猟業

一一、漁業及水産養殖業

一二、前各号に掲げるものを除く外対価を得て継続的行う事業」

とされているのである。ところで旧所得税法第九条第一項第四号がいわゆる「事業所得」と称されかつ前掲同法施行規則第七条の三で「事業」を列挙し同一二号でしめくゝりとして対価を得て継続的に行う「事業」としていることに徴して「事業」とは一般法令上如何なる意義として使用されているかについては一言しておかねければなるまい

「事業とは一定の目的を以つて為される同種行為の反覆継続的遂行をいうが営業及び事務と対比することによつて観念を明確にすることができるすなわち営業は営利の目的をもつて同種の行為の反覆継続して行うことをいうが事業には営利の要素は必要でなく営利の目的をもつて為されるかどうかは問わない―中略―事務という観念はかゝる事業をなすに当つて反覆継続的になす個々の行為をいう」(佐藤達夫外二氏共編学陽書房版法令用語辞典第四次全訂版二五四頁)とされているのであつて事業一般としては営利は要素として不必要であるが営利事業は事業たるを失わないと謂い得るのである

してみると前掲所得税法施行規則第七条の三第一号から第一一号までで列挙されてある各業種から抽出される性質は要するに同条第一二号にしめくゝられる対価を得て継続的に行う「事業」ということを集約されるものでありその意味するところ一般法令上の用語と同一に帰着するのであつて税法が独特の意味を持たせて考えているのではないと考えられるのである

二、ところで雑所得ということについて旧所得税法第九条第一項第一〇号は「前号以外の所得」と定めているのみで施行規則施行細則を通読してもその積極的定義付けは見当らないところである。唯所得税法の運用上の解釈通達として昭和二六年一月一日国税庁長官通達として

「雑所得は法第九条第一項第一号から第九号までに掲げる所得以外の所得であるから非事業の貸金利子(傍点弁護人)郵便年金、身許保証金の利子並に自己の庭園に生じた竹、たけのこ、まつたけ等の所得で事業所得と認められないもの等がこれに該当するものとする」(財団法人大蔵財務協会昭和三九年一月一日発行所得税取扱通達二二二頁)とあつてその趣旨とするところ一時的なものであること及び非事業の貸金利子の如く断続的であること継続的であつても比較的少額なものであつて事業と認められないことがその実質的意義であることがうかゞわれるのである。

三、さて以上「事業所得」と「雑所得」の概念上の区分ということに関連して「事業所得」の特に「事業」というものの性格を究明し併せて雑所得の性格を見て来たのであるが当然の論理としてある行為の反覆継続行為が事業と認められるならそれに因る所得は「事業所得」であつてもはや「雑所得」と認める余地のないこと従来の説明により理解し得られるところである。

しからば原判決も認める如く被告人の営利を目的としてつまり対価を得て継続的に行つた被告人の行為の集積が旧所得税法施行規則第七条の三第四号の金融業に概当するのではないかということが当面の論点となる訳である。金融業に該当するとせばその所得は事業所得と認定さるべきであり雑所得と認め得ないこと先に述べたとおりである。

金融業の用語を前掲法令用語辞典一四一頁に拠れば「金融業という語は法律上しばしば用いられるがそれがどの範囲のものを指すかは法律上必ずしも一定しておらず個々の法律で具体的定義を下してその範囲を限定して用いるのが通例である―中略―一般に銀行業(相互銀行業を含む)信託業及保険業を含むことはまづ例外はないが無尽業、証券業又は貸金業を含むかどうかは場合によつて異る」となつているのであつて結局所得税法の解釈上いかなる解釈が為されるかゞ究極の問題であるが所得税法上でもまた同法施行規則あるいは同法施行細則でもこの解釈法条は見当らないところである。しかしながら所得税法の目的並に前掲所得税法施行規則第七条の三の事業の列挙並に同条第一二号の文言に徴するなら疑問視される前掲証券業、貸金業も亦金融業の範囲内にあるものと考えられるところである。被告人の行つた行為は営利の目的をもつてする貸金の継続的行為であつたことは明らかなのであるからそれは貸金を事業としたのか否かということが最後に残された問題点である。

被告人の行つた営利の目的をもつてする貸金の継続的行為を「事業」と見るか見ないかそれは社会通念によるというのであつて見れば社会通念として事業と見るか否かは立場立場による見解に差異があること当然であるから、いわゆる水掛論争として際限がないといわねばならないのである

四、ところで現在の税務行政は「通達行政」と比喩されるほど法令の解釈から事務の取扱方針まで極めて多くの通達によつて運営されていること周知のとおりであつて先に述べた雑所得の概念の通達等がその通例である

而して或る金融の仕事を継続して実行している人物の行為を事業と見るか非事業と見るかは概念上の区別は社会通念によるとすること前来記述したとおりであるがこの社会通念の解釈というか、かくの如き要素の見られるときは金融業と見るべきだとする解釈通達が昭和二六年一月一日以来所得税法に関する基本通達として発出されているのである。即ちそれによれば「金融業に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率、その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の占める割合その他諸般の状況勘案のうえこれを判定すべきであるが次のような場合は次によるものとする

(一)親せき、友人等特殊の関係にある者のみに貸付けている場合は金融業に該当しないものとする。但しその金額が多額(おゝむね五〇万円以上)に上る場合はこの限りでない

(二)転貸の目的で他人から借入れた資金を貸付けている場合は金融業に該当するものとする」

(前掲所得取扱通達集第一五四乃至一五五頁)(記録 )とされているのであつてこの通達は二つのことの解釈を指示しているのである。その一は貸金業が金融業に含まれるものであること。その二は親戚、友人のみえの貸付でも五〇万円以上貸付けているときは社会通念上事業と認むべきこと他人から資金を借り入れて貸付けているときは社会通念として絶対的に金融業と認むべきことを指示しているのである思うに税務官庁において訓令、指令、示達、通牒、通達、回答などの名称をもつて発出されるいわゆる取扱通達は国家行政組織法第一四条第二項に法的根拠を有するものであつて税務官庁の系統的組織内において租税法規、財政会計法規、行政組織法規と共に具体的な執務の基準を示すことを目的として出されているもので、法令として上級機関から下級機関を拘束するものとして出されているものに属しないから一般の第三者即ち国民あるいは裁判所に対しては勿論法的拘束力を有することはない、しかしながら純然たる税務官庁自体の事務規程としての取扱通達はともかくとして右に掲記した通達は一般に公然と公開されており一応その通達に依拠して実務を処理して十数年を閲している現状である以上納税者その他外部関係者と交渉をもつ事項特に本件右通達の如き租税法の具体的解釈を内容としているものなどについては租税法規の補充としてそれ自体事実上規範的性格を有する面がありこの事実上の取扱いが一般の法的確信を得て慣習法たる行政先例法として認めるべき場合があり得ることは何人も肯認せざるを得まいと確信する。

而して本件の右通達が行政先例法として認めらるべきであるか否かは別として右の社会通念というあいまいな概念を決定づける通達事実が存在している以上その通達が特段の非合理的要素を含まない限り裁判所の法の適用も亦自ら制限を受けるものと確信するところである。而して右の通達に示されている事項は金融業という事業についての解釈について最高当局である国税庁長官が通達の形式を採つて解釈を与えたものであり換言すれば事業とされる金融業の社会通念を決定したものと考えられそしてまたこの社会通念を決定づける通達の趣旨は合理的であつて何等法理念違反または非合理的要素を含んでいないと信ずるのである

五、原判決(弁護人の主張に対する判断)によれば「被告人は兄忠之の中部観光株式会社に対する金銭の貸付事務を処理しているうち自らも同会社に高利で金銭を貸付けて利益を得ようと考え自己の義弟の銀行員永野智に相談し同人の知合であつた片岡光雄から利息月三分の約束で預つた二〇〇〇万円を利息月五分で中部観光に貸付けたのが始りで昭和三三年頃から中部観光の倒産した同三九年七月までの間同会社に対し右の二〇〇〇万円の外被告人等が右貸付金の利息として受取つた金銭被告人の知人大楽忠治や外一ケ所から預つた金銭等七口約三三〇〇万円(昭和三八年二月末現在)を五〇万円乃至八〇〇万円を一口とし利息を月五分若しくは二分五厘期間を六〇日若しくは三〇日として貸付けていたことが認められる」のでありこの継続的貸金による被告人の所得は昭和三八年度においては総所得九、九五四、四三四円中八、一二四、四三四円を占めその割合は実に総所得金額の八二%に達し同三九年度においては総所得五、三六〇、三三二円中三、九四五、三三二円を占めその割合は七四%に達しているのであつて(原判決(罪となるべき事実)を基礎にして計算すれば両年度とも被告人の所得の大部分を占めているといつても過言でないのである。

以上の事実をもつて前示金融業に関する国税庁長官通達に当てはめてみればいづれの点よりしても被告人の金員貸付の継続行為は被告人が金融業を営んだと見るべきであり、その金員貸付状況は国税局長官が決定した社会通念上事業として貸金業を営んだことに該当するといわねばならないと思料するところである。果して然らば被告人の所得は金融業を事業として営んだことによる事業所得であり所得税法第九条第一項四号の事業所得として計算さるべき性質のものであり絶対に同項第一〇号による雑所得として計算さるべきでないと思料するのである

六、それならばこれらの事業所得による所得税逋脱による刑罰請求権は何時どんな形で発生存続するのであろうか、或いは消滅乃至阻却されたのであろうか

原判決によれば昭和三八年分所得については昭和三九年三月一五日の経過によつて、昭和三九年所得については昭和四〇年三月一五日の経過によつて逋脱が既むの状況になつている。そのことは逋脱犯についてのいわゆる確定時税即ち租税収入減少の事実を納税義務の確定段階においてとらえようとするものでその趣旨とするところは税法の定める課税要件の完成によつて発生成立した抽象的租税債務を申告賦課決定によつて具体的に確立するものでこの法の期待に背いて法の予定する時期にその期待どおりの内容が確定されなかつたときに逋脱の結果が発生したとの意味で了解出来るところである

ところで被告人については昭和三八年分所得について同三九年三月一五日の経過によつて本来三、六八二、九五〇円であるべき所得税額を四三、九五〇円と申告確定させたのであり三、六三九、〇〇〇円の所得税額を逋脱したのであるからそれに対応する刑罰請求権が発生したことになるのであろうし、昭和三九年分所得について同四〇年三月一五日の経過によつて本来一、五一七、五八〇円であるべき所得税額を一一、七五〇円と申告確定させたのであり一、五〇五、八三〇円の所得税額を逋脱したのであるからそれに対応する刑罰請求権が発生したことになるのであろうけれども昭和三九年七月二五日被告人の所得の発生していた中部観光株式会社が銀行取引停止処分を受け(この点は争いがない)たことにより同会社に対する貸付元本一五、〇〇〇、〇〇〇円は回収不能(貸倒れ)となり被告人もその時を以つて金融業を廃止したことにより事態は転回したところである。被告人の金融による所得が事業所得であるとするならこの貸倒れ金は必要経費として所得税法第一〇条の六第三項によりその廃止した日の属する年分(昭和三九年分)及びその前年分(昭和三八年分)の所得の計算上必要な経費に算入されるのであるからこの限度において前記刑罰請求権は消滅しなければならない筈である。かゝる逋脱犯の刑罰請求権発生存続の不安定性は税法が一般的に徴税上の便宜のために所得の算定につき発生主義を採つている当然の帰結であり止むを得ないところといわねばなるまい。換言すれば所得の算定に関する発生主義は所得を年度毎に確実正確に捕捉する技術的手段であることにその使命があるのであつていかなるものを課税の対象としてとらえることが所得税の本質に適合し課税の公正の理念にそうものであるかということに関する主義原則ではないのであるから所得税法が所得の算定につき発生主義を採つているということからたゞちに同法があらゆる種類の債権につきその実態上の差異を無視して一律に債権発生の時点においてすでに財産的価値をもたらしたものとして課税することが合理的であるとの見地を貫いているものと即断出来ないのであつて所得税法があらゆる種類の債権について例外なく発生主義を厳格に貫くべきものとしているかそれとも或る種の債権については発生主義をとることにより生ずる不公正な結果について別途に事後的救済が認め行なわるべきことを予定しているものとみるべきかの問題の決定については所得税の本質(所得の存するところに課税する)や課税の公正の理念が当然考慮に加えられるべきであつて単純に所得税法が所得の算定方法として発生主義を採つていることによつてのみこれを断定すべきものではないのであつてその意味で発生主義を採っている所得税法における逋脱犯の刑罰請求権が所得税の本質という考慮に従つて浮動的であることは巳むを得ないといわなければならないと思料するのである。

それならば銀行取引停止ということが単にそれだけのことで全額貸倒れとなるものであるかは次の問題といわねばならない。被告人の場合についていうならば中部株式会社の昭和三九年七月二五日の銀行取引停止という事態は昭和四一年一〇月三一日の強制和議により七割が切捨てられ三割が実に五ケ年間の分割払いとなつたのであるがその処置は飽くまで銀行取引停止会社の救済の趣旨に力点が注がれ債権者の債権の満足という点からするならば全くの犠牲を強制することになるのであつて実際的効果としては全額貸倒れと略同等と考えねばならないと思料するのである。之を裏書するように「売掛債権の償却の特例等として手形交換所において取引停止処分を受けたときは債権の一〇〇分の五〇に相当する金額を貸倒れとして処理することを当然に認めている」(昭和二九年七月四日直法一-一四〇直所一-七七通達前掲通達集三七七頁)のである。そのことは納税に対する行政通達に関するものであるから刑罰請求権については一〇〇分の五〇の刑罰請求権ということは考えられないので刑罰請求権全体が消滅する(或いはいわゆる責任阻却)と考えざるを得ないと思料するのである

そして一旦消滅した刑罰請求権はその後における強制和議等によつて復活するいわれはないと思料するところである

して見れば被告人について生じた昭和三八年逋脱所得税額三、六三九、〇〇〇円および昭和三九年逋脱所得税額一、五〇五、八三〇円に対する所得税逋脱刑罰請求権は昭和三九年七月二五日の債務者たる中部観光株式会社らの銀行取引停止処分による貸倒れ、一五、〇〇〇、〇〇〇円の発生によつて消滅したものと推論せざるを得ないのである。詳論するならば昭和三九年分総所得金五、三六〇、三一二円より申告金額一、四一五、〇〇〇円を控除した三、九四四、二九二円が密匿したという金額であるがこの分は前記一五、〇〇〇、〇〇〇円の貸倒れ金の発生によつて所得税法第一〇条の六第三項により先づ同年度の必要経費に算入されるのであるし前記一五、〇〇〇、〇〇〇円から三、九四四、二九二円を控除した一一、〇五五、七〇八円は前年分即ち昭和三八年分の所得の計算上必要な経費に算入されるのである。そして昭和三八年分所得は九、九五四、四三四円であり申告分一、八三〇、〇〇〇円を控除した八、一二四、四三四円と前記経費として算入さるべき残余一一、〇五五、七〇八円と対比するときは寧ろ二九〇万円余りの残余金が出るのであつて所得税を課すべき余地は全く存在しないといわざるを得ないし従って所得税逋脱犯としての刑罰請求権はこれにより雲散霧消したといわざるを得ないと思料するのである

若し夫れ前記一五〇〇万円の貸倒れについて昭和四一年一〇月三一日の和議の認可によつて貸倒れ債権の一部が復活したことに伴い刑罰請求権の一部が復活(そんなことはあり得ないと思料する)したということを考えるならそのような訴因の変更がなされるべきものであると考えられるがそのような変更は現在まで為されておらないところである

そしてそのことは逋脱犯としての刑罰について限定されるところであつてこれと別途所得税額の算定については別途の方法が講ぜられることは所得税の本質上当然とせねばならないところである。

七、国税局長官は昭和四四年一月三一日「所得税法に関する当面の取扱いについて」と題する一連の新しい通達を発出したがそのうちの一として(金銭の貸付けから生ずる所得が事業所得であるかどうかの判定)は「金銭の貸付け((手形の割引譲渡担保その他これらに類する方法による金銭の交付を含む以下この項において同じ))から生ずる所得が事業所得に該当するかどうかはその貸付口数、貸付金額、利率、貸付けの相手方、担保権の設定の有無、貸付資金の調達方法、貸付けのための広告宣伝の状況、その他諸般の状況を綜合勘案する」とした通達を発出したこの通達はさきに掲げた金融業についての昭和二六年一月一日の基本通達即ち「金融業に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の金額を占める割合その他諸般の状況を勘案のうえこれを判定すべきであるが次のような場合においては次によるものとする

(一)親せき友人等特殊の関係にある者のみに貸付けている場合は金融業に該当しないものとする、但しその金額が多額(おゝむね五〇万円以上)に上る場合はこの限りでない (二)転貸の目的で他人から借入れた資金を貸付けている場合は金融業に該当するものとする」(前掲所得税取扱通達集一五四頁)と衝突乃至は喰い違うことにもなるので二六年一月の古い通達は前示四四年一月三一日附をもつて廃止されたところである。しかしながら新通達が発出されるまで既出通達は十数年間行政先例として生き続けていた筈であり本件被告人の行為が昭和三九年、四〇年の行であつて見れば右の新通達が行為時に逆上つて適用される筋合でないと考えられるのである。勿論通達は通達であつて法そのものであり得ないのであるけれども通達が一般に公然と公開され税務署長等の下部機関が一応その通達に依拠して十数年間もの間実務を処理していた現状である以上納税者その他外部関係者に交渉をもつ事項特に本件通達の如きは租税法の具体的解釈を内容としているのであるから租税法規の補充としてそれ自体事実上規範的性格を有しているのであり行政先例として作用していたものと確信するのであるその通達が特段の非合理的要素を含まない限り裁判所の法の適用に当つても自ら制限を受くべきものと確信するところであること。既に本趣意書第二、四項末尾に述べたとおりである。

原審検察官が「釈明書」(記録第九二丁)において述べていられることは昭和四四年一月三一日に発出された(金銭の貸付けから生ずる所得が事業所得であるかどうかの判定)についての前掲通達の文言によつておられるものの如くであり新通達を逆つて本件に適用せられるものであつて法治国家の法規解釈運用の方法としては納得し得ないところであるし、原判決が(弁護人の主張に対する判断)末尾において「しかし被告人の金銭の貸付先は被告人と親しい奥山宗雄が常務をしていた中部観光株式会社のみでありそれ以外の者には貸付けていないし貸付に当つては相手方の帳簿に被告人の氏名を全く出さずすべて架空名義を使用し被告人のところも帳簿を備えつけて記帳する等の方法をとらず又担保を設定する等の債権確保の手段もとつていないし貸付資金も一部に知人の大楽忠治から預つたものがあるけれども大部分は片岡光雄から借りた二〇〇〇万円とその運用利息で他から調達したものでないことが認められる。これらの事実やその他諸般の事情を綜合して検討すると被告人は奥山との特別な関係から同人を信頼して中部観光株式会社に二〇〇〇万円を貸付け利息が確実に支払われたためそのまゝ漫然と貸付を継続していたに過ぎず被告人が事業を行う意思で企画的に中部観光への貸付を行つていたとは認められないから被告人の本件所得を金融業から生じた事業所得ということは困難であり論旨指摘の通達(傍点―弁護人)もこの認定を左右するに足りない」としているのは前掲通達の規範的性格と行政先例法的性格を無視し法治国における法的安定性を考慮しない点において法令適用を誤つたものと思料するのである。

八、惟うに本件は昭和三八年度総所得金額九、九五四、四三四円から申告金額一八三万円を控除した八、一二四、四三四円及び昭和三九年度総所得額五、三六〇、三三二円から申告金額一、四一五、〇〇〇円を控除した三、九四五、三三二円の合計一二、〇六九、七六六円がいわゆる被告人が得た利息収入であるけれども被告人は中部観光の銀行取引停止処分のため約一五〇〇万円の債権が事実上回収不能となつた事案であつて金銭計算上のいわゆる損失は被告人の自業自得とするとしてもなおこの被告人より徴税することは所得の存するところに課税するという租税の本質に背反し所得のない被告人から徴税するのでないかとの疑問の存するところであるのに加え更に脱税犯として刑罰の対象とされるに至つているのであつて法一般を貫く衡平の観念上多くの疑問の存するところといわねばならないのである

以上縷々開陳した事情検討の上原判決を破棄し無罪の判決を賜りたい

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